君はロックを聴かない

ユニバ大作戦、という事件をご存じでしょうか?
今月の7日、8日に起こった出来事です。

皆さんも覚えていると思いますが、この日の数日前から全国で記録的豪雨が猛威をふるっていました。
そのあおりを食らって、この二日間に開催が予定されていた「京都大作戦」というロックフェスが中止になったのが今回の発端です。

中止になったので全国からフェスに参加しようと集まった人たちは手持ち無沙汰になってしまった。
そこで、みんなでユニバに行こう、という計画が発案されました。これが「ユニバ大作戦」です。
ここまではわかる。問題はこの後です。

ユニバに集まった人々は撮影禁止場所での撮影、芝生エリアで音楽をかけてモッシュ、大声で歌う、挙げ句の果てにはクルーに注意されても聞かない、などの迷惑行為を繰り返していたそうです。
もちろんこの件はネットで炎上。
それに対して参加者たちは「批判している奴らは俺らが羨ましいだけの陰キャ」「俺たちは伝説の中にいる」等の反論を投稿し、さらに炎上することとなりました。

この件について、本人たちが迷惑行為に気づいていないという点や京都大作戦のイメージが悪くなることを問題視する声が多いですが、個人的には「彼らはロックを聴いていない」という点が残念でした。
彼らは京都大作戦に音楽を聴きに来たのではなく、音楽に合わせて暴れることが目的だったことが浮き彫りになったのです。
これが私にとっては腹立たしくて仕方がない。

今回に限らず、ロックフェスなどでモッシュやダイブを行う人間の中にはそれ自体が目的になってしまっている人がいます。
私の個人的な経験の中からピックアップすると、ステージに背を向けて跳びながら尻で押してくる人間や明らかに横ノリのリズムの曲なのに上に跳ねる人間、演奏中にも関わらず「やっぱり○○は盛り上がるな」と隣の友人としゃべっている人間などが挙げられます。
ライブというのは音楽という芸術を直接に味わう貴重な場なのに、そういう人間がいて他人に迷惑をかけているという状況が気に食わない。そんなに暴れたければ暴れたいやつらでクラブでも借り切って勝手にやってろ。生の音楽である必要性はどこにもないのだ。


ここからは私の勝手な個人的解釈ですが、ロックの本質は「抑圧からの解放」の音楽です。
ディランが“Like A Rolling Stone”を発表してからというもの、ロックに政治的意味が付加され、70年代のパンクムーブメントではまさに解放をうたった音楽が生まれました。90年代にはニルヴァーナウィーザーなどのオルタナ勢が頭角を現し、彼らの音楽は学校や家庭での地位が低いティーンエイジャーの精神的な逃げ道になっていました。

そして、ライブというのは解放・救済の音楽を作った本人たちが目の前で演奏してくれる、いわば音楽による究極の解放の場なのです。
それを、本質的に音楽を聴いていない人間に邪魔されるのは本当に苦痛なのです。
今回のユニバ大作戦を機に、一度この問題について考えてほしいものだと思っています。


最後に、ロックの本質をうまく表現した名歌詞を紹介して終わりたいと思います。



----僕はこんな歌で あんな歌で 恋を乗り越えてきた