神の不在

夜中にバイト帰りの勢いでブログを更新する。

今日のバイトは、腹の立つ客が多かった。
いや、正確には私が疲れていたからそう感じただけかもしれないが、事実、腹の立つ客が目立った。

腹の立つ客とはどういう客か。
店員を見下す、店員の話を聞かず自分勝手に動く、等々である。
例を挙げると、トレーの前でお待ちください、と声をかけたにも関わらず勝手に着席してしまうとか、上から目線な口調で注文してくるだとか、そういったことの積み重ねがストレスになるのだ。

余談だが今日いちばん腹が立った客は、「ポテトはお席までお持ちします」と言って他の商品を先に渡したのに、しばらくしてから「ポテトがない」と文句をつけてきた客である。人の話を聞け。

さて、このような「腹の立つ客」はなぜ発生してしまうのか。
答えは簡単、これらの客は自分が店員よりも上の立場にいると錯覚しているのだ。

確かに、「お客様は神様だ」という言葉は接客業界に存在する。
しかしこの言葉は店員側の心構えの問題であり、客側からの目線で言っている訳ではない。
そもそもこの言葉の本来の意味では、お客様というのは消費者のことではなく観客(オーディエンス)のことで、つまりは舞台に立つときの心構えについて述べたものである。

それが今ではどうだろうか。
一部の客はこの言葉を拡大解釈し、さも自分が店員と比べて偉いかのように思い込んでしまっている。

彼らの言い分はこうだ。
俺たちは店に金を払っているんだ、だから店員よりも偉いに決まっているだろう。
確かに、金を払ってくれるのは偉いかもしれない。ただし、それは何の見返りもなしに金を払っている場合の話だ。

客というのは、店に金を払っているが、それは店が提供する商品との等価交換である。
つまり、客は店に払った金と同じだけの価値を持つ商品を手に入れるのだ。
同じ価値のものを返された時点で、立場は同等になるはずだ。
これを理解していない客が、「腹の立つ客」に成り下がってしまうのである。

店というのは確かに客がいなければ成立しない。しかし、客もまた、店がなければ欲しいものが手に入れられない。
偉そうにしているおまえだって、ハンバーガーが食いたくて店に来たんだろう。店がなければおまえが食べたがってるハンバーガーは手に入らないんだぞ。
そう考えると、客にとっての店もまた、商品を提供してくれる「神様」のような存在なのではないだろうか。
そして、存続の必要条件として、店からみた客も「神様」のような存在であると言える。

しかしここで注意しなければならないのは、お互いに「神様」のような存在と言っている「店」や「客」は、個人の話ではなく、集合体のことを指している、ということだ。
つまり、ひとりの客が偉いわけでも、店員ひとりが上の立場にあるわけでもない。
客や店員を集めて、集合体としての「店」や「客」としてみた時に、やっとお互いに「神様」の位置につくのだ。

「腹の立つ客」は個人レベルで自分が「神様」だと思ってしまっている。
しかし実際は、ひとりの客とひとりの店員が対峙したとき、そこには神様なんていないのだ。「神様」はもっとスケールの大きいところにいる。

私は、すべての客に伝えたい。
お互い人間として最低限の敬意を払おうではないか。
どうか、くだらない勘違いだけはやめてほしいものである。