多重生活

こんばんは。お久しぶりです。
そろそろ春休みも終わり、新学期が始まろうとしています。

前にも書きましたが、私はこの春休みの間、旅行とバイトの繰り返しで過ごしてきました。
しかし、もうすぐ新学期ともなるといつまでもそんな悠長な生活を送るわけにもいきません。
授業に向けて履修を組まなければなりませんし、サークルの新歓もあります。

このサークルの新歓がちょっとしたくせ者なのです。
現在私は3つのサークルに所属しています。そのうち1つは新歓イベントのようなことをする予定はないので、重要なのは2つになります。
この2つがどちらも舞台発表系のサークルなので、そのための練習がぼちぼち始まってきています。

さて、これで授業が始まるとどうなるでしょうか。
「授業」、「サークル1」、「サークル2」、そして「バイト」という4つの生活が私の周りを平行して流れ始めるのです。
言ってみれば私はその時と場合に応じてこの中のどれかを生きる、ということになります。

ここまで読んで、はいはい、忙しいアピールがしたいのね、と思ったそこの貴方。
この話はあくまで導入です。本題はここから。
これは私に限った話ではありません。そこの貴方も含め、ほとんどの人間は平行して流れる生活を生きわけています。

たとえば、高校生。授業中と休み時間、部活、そして帰宅後。これらはすべて平行した別の生活であると考えることができます。
なぜか。その「生活」の中での貴方の立ち位置が異なるからです。
授業中なら「生徒」、休み時間は「友人」、部活中は「部員」、帰宅後は「家族」という立ち位置が基本となります。

ここで言う立ち位置、というのは他者との相対的な関係性のことです。
これらの関係性は、ある文脈の中でのみ発揮されるものですが、その文脈というのは相互に交わり合うことはありません。
人間は皆、この平行した文脈を無意識のうちに選択し、行ったり来たりしながら生きているわけですね。
文脈にあった生活を「演じている」と表現してもいいでしょう。

この生活、というのは他者との関係性の数だけ存在します。
同じ「友人」として接しているけれども、あそこの彼に対する時とそっちの彼女に接するときとでは気持ちや態度がちょっと違う、ということがあるでしょう。
それは、「彼の友人」としての貴方と「彼女の友人」としての貴方、2つの文脈が存在していることが原因だと考えられます。

ちょっと待て、関係性の数だけ生活を演じているのなら、本当の自分というのはどこにいるんだ、という声がそろそろ上がってくるかもしれません。
その答えは、「すべての生活の根幹」です。
先ほど、我々は生活を演じているようなものだ、といいました。演じるためには、役者という存在が必要不可欠です。
その役者こそが、いわゆる「本当の自分」なるものではないかと私は考えます。

忙しい人間の中には、ある生活の気分転換に別の生活を利用する人もいます。たとえば、勉強とサークルとか。
確かに、全く違う生活を演じれば精神的には回復します。なぜなら、それらの生活は平行していて交わることはないから。
しかし、肉体的にはどうでしょうか。役者ひとりで常に演じわけるのは疲労がたまる一方です。
これが蓄積していって、あるとき急に崩壊してしまうようなこともあり得るのです。

では、どうすれば良いのか。役者を素の状態で休ませることです。
役者が素に戻るのはどのような時でしょうか。
簡単ですね。役から解放されて舞台を降りた時です。
この場合、舞台というのは他者との関係性にあたります。
つまり、たまにはひとりで休むことが重要だ、ということですね。

これからは「新生活」の季節。いろいろと疲れることもあると思いますが、うまく演じていきましょう。
皆さんもお気をつけて。
それではまた。