マンデイ・モーニング

こんばんは。

朝起きれなくてつらい、なかなか布団から出られない。
そんな皆さんに特効薬があります。
知りたいですか?


ずばり、「早寝早起き」です!!!
え?できることならやってるわ、夜中にブログ書いてるやつに言われたくねえ?
そうですよね。でも、世の中そう簡単にはいきません。
ほら、長寿の秘訣について書かれた古文書を解読したら、内容は基礎的な生活習慣の改善だった、みたいな話もあるじゃないですか。
そういうものです。一朝一夕で変わるようなものじゃないんですね。

かくいう私自身も早起きは苦手です。今日だって寝坊して一限を休みました。
月曜の朝って特に起きるのがつらくないですか?
大学生の八割以上が月曜の一限を休んだ経験をお持ちのことと思います。
私は後期が始まって以降、月曜の一限には出席した回数の方が圧倒的に少ないです。

ですが、起きられないからといっていつまでも休んでいると、出席回数が危うくなってしまいます。
最低限の出席回数をクリアしていないと、テストを受けさせてもらえない訳ですね。なんと理不尽な。
どこでも同じようなものだとは思いますが、私の学校では六回休むとアウトです。

はい、ここからが本題。我ながら前置きが長い。
この欠席回数の制度、あまりよくないのではないかと思うのです。
だってですよ、自宅で必死に勉強している学生よりも、講義にくるだけきてケータイいじったり寝てたりする学生の方が点を稼げるって、なんかおかしくないですか?どっちが真面目だ、って話です。
つまらない、内容の薄い授業に貴重な時間を費やして出席し続けるのと、授業外で有意義に学習すること、どっちが重要でしょうか。

まあ、今のは極論ですが、出席回数で人をはかろうとするのは気に食わない。

学業の最終目標は、あくまで知識や考え方の定着とそれらを実践で用いる能力を身につけることです。間違っても毎日学校に通うことではない。
つまり、学校へ通うことは最終目標に近づくための手段としてとらえることができます。

しかし、これをひとつの指標と位置づけてしまうことで、出席が目標に組み込まれてしまう。手段の目的化ですね。こうなってしまうとよくない。
何がよくないかというと、手段が目的化してしまうことでその奥にある最終目標が霞んでしまう訳ですね。そうすると、大半の人間は元々が手段だった身近な目的を達成した時点で満足してしまうのです。
結果、中途半端な人材が大量に生産されるということにもなりかねない。

これは、大学の出席日数に限ったことではありません。学生というのは、知らず知らずのうちにこの「手段の目的化」に飲み込まれています。
たとえば、高校入試のときに内申点というのがありましたね。あれもそのひとつです。実際の点がそんなによくなくても、普段から「学校で」真面目に取り組んでいれば点数がかさ増しされるという素晴らしいシステム。
これで点をもらおうと必死で先生にアピールする。はい、その時点で「手段の目的化」です。中学生にとっての直近の目標は、志望する高校への入学です(中卒で就職される人を除く)。それを見失って内申点稼ぎに必死になるのはよくない。

この国は、古来から勤勉を美徳としてきました。二宮金次郎が偉人として扱われているのがその証拠です。
それに従って日本の教育も勤勉な「姿勢」を学生に植え付けようとしているようにも見えます。中身が伴っていなくても、勤勉な「姿勢」があれば良いのです。
これが「手段の目的化」の温床なのではないか、と私は思うのです。

その結果、偉そうに勉強しているのに中身はだめ、みたいなやつが出てくるわけですね。いわゆるガリ勉の出来損ない、というやつです。
この話をし始めると長くなってしまうので、詳しくはまた別のときに書きたいと思います。

とにかく、手段の目的化。これが学業の分野で生じてしまうと良くない、ということです。ではどうすれば良いのか。最終的な目標を見据えて、手段はあくまで手段として捉えることです。手近な目標ばかりに気を向けてしまうと、手段にとらわれて目的を見失ってしまうのです。

もっとも、現行の制度が「手段の目的化」を体現しているようなものなので、そこから変えてゆく必要はあると思います。でも、その中でも目的を見失わないことが大切です。手近な目的に縛られすぎない意思を持つこと、これが中途半端な人材にならないための特効薬です。

また長々と書いてしまいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それではまた。明日の一限は寝坊しないことを願って